お久しぶりです。
イニシャルがわかった気がてきたので、文章にしてまとめてみようと思います。
まずはこの曲の立ち位置です。
わたしはイニシャルが”夢”を扱った曲であると考えています。似たものとしてミライトレインが挙げられ、こちらでは星の鼓動を扱っています。
その上で、イニシャルは
香澄視点から観測した夢という群像劇を歌にしたもの
であると感じました。
ですので、今回はこの視点を持って、イニシャルを解釈してみようと思います。
・夢
1-1.曲中の夢について
イニシャルという曲では、強めな言葉が多く使われています。”強く”だったり、”めらめら”だったり、挙げ句の果てにはオタクがライブで高まったときに発言する”ア・イ・シ・テ・イ・ル”も使われています。また、苦しい現実に対する後ろ向きな表現(挫折,倒れた,)も多く使われています。
夢というものは、素晴らしいものである反面、それを掴む道のりにはたくさんの困難が存在していて、多くの場合はそれに負けて挫折してしまったりします。
イニシャルに使われている表現。これらは”夢”というものの強度を表しているように感じます。また、それは同時にそれに立ち向かう者たちの強さも表現されています。
1-2.香澄から見た夢について
歌詞序盤では、”わたし”が体験した”夢”にまつわる話がされています。
話は主に初期衝動から起こした行動の話です。BanG_Dream!1期を見ている方なら、思い当たる節があると思います。(すみません。今回は見ている前提で話しています)
一番では初めてグリグリのライブを見た衝動。それからギターにのめりこんでいった勢い。仲間(Party)を結成して出かけた非日常への冒険。
二番になると、挫折した経験。星の見えない(声の出せなくなった)夜。それでも立ち上がった”前へススメ!” どれも香澄視点での一期の物語と合致します。
2.群像劇について
Cメロ(詳しくないので間違っていたらすみません)に入ると、”誰か”という不特定の人物を指す代名詞が頻繁に使用されるようになってきます。
”誰かが人の夢を笑った
誰かが人の夢に泣く
誰かは人の夢に
思いを重ねている”
特にこの詩は特に印象的で、「夢から派生するストーリーを考えたらこんなものがあるだろう」が羅列している文章になっています。これは、ポピパにも当てはまるものでありながらも、夢を目指す不特定多数の人間に当てはまる状況でもあります。
それを印象付けるように、明確なエピソードではなく”誰か”という不特定多数を指す代名詞を用いて不特定多数に当てはまるエピソードが羅列されているように思います。
つまりこれは、
夢を追いかける者なら誰でも当てはまる文章
という訳ですね。
BanG_Dream!に登場する夢を追いかける人物は、もちろんですが香澄だけではありません。夢を追って、どうしようもなく折れてしまった先人たち(RAZES,まりなさん)、共に夢を追いかける仲間たち(Roselia,Afterglow,Pastel*Palettes,ハロー、ハッピーワールド)、後をついてきてくれる後輩たち(朝日六花,モルフォニカ)等、たくさん存在します。
もちろん、世界規模で考えると、どこの時系列でも数えきれない星の数ほどの仲間がいて、そのどれもが彼らにとっての”特別な夢”を追いかけている訳です。(ありふれた特別)
それはとても素敵なことで、Cパートの歌詞ではそこについて描かれています。
地球は誰のものかって?
そんなことよりもI love you
特定できないほど多数(現在、過去、未来)の人間が手を伸ばす”夢”。そしてその舞台となる”地球”(ミライトレイン)。それらを香澄のフィルターを通して観測し、言語化したもの。それがイニシャルのCパートではないでしょうか。
そこにCiRCRING!という概念を理解している香澄だからこその独自性があります。
3.ア・イ・シ・テ・イ・ル
いいかい? どんな言葉だって、やがて宇宙のノイズになって消えるんだ。誰かを救える言葉なんてないんだ。
だけど、ときどき奇跡は起こる。ちょうど、星を待つ人に、星が流れるように。
ア・イ・シ・テ・イ・ル。これは一体何に向けられた言葉なのだろう。歌詞中にはそれが何に向けられている愛なのかは語られていない。
けれど、想像できるものはある。これまでこの歌詞は、戸山香澄と不特定多数の夢を目指す者たちのことを書いていた。ならばきっと、戸山香澄は不特定多数に叫んだのだろう。精一杯のア・イ・シ・テ・イ・ルを。
上に挙げたのはポピパの歌詞をほとんど書いている中村航先生の著書の引用です。
そこにはどこかに放たれた言葉は、時に誰かを救うかもしれないと書いています。この考えはポピパの概念(CiRCRING!)にも合致するものであると考えています。
———夜空に放った言葉は、いつか誰かを救うかもしれない。
なら、届けよう。物語は巡り巡る。それぞれがそれぞれ固有の夢を追いかけていたとしても、その道のりは似ている。
もしも似た人間が、似たような道のりで、似た場所で挫折した時、先人の言葉はその人にとても寄り添ったものになる。顔は知らなくても、その時だけでも一番の理解者であることができる。
誰かを救えるのなら、誰かを救う為の言葉を届けるために、きっと人は夜空を見上げる。いつか、誰かを救うために、無限遠方に向かってアイを叫ぶ。
香澄そのようにしたのだろう。いつか、誰かが前を向くことができるように、星のない夜空に、流れ星が流れるように。世界で一番優しい言葉を選んで、宇宙に向かって放ったんだ。
・一つだけの夢について
余談程度に、”夢”についてもう少しだけ深堀します。
ポピパの世界での”夢”とは、それぞれが無数にある星の中から一つだけを選び出すように、唯一無二の夢を抱いています。
夢は一つだけしか掴めないもので、どれを掴むかは選ばなければなりません。
ひとつの場所 ひとつの道
ひとつの愛 ひとつだけ選んだ夢
言葉を放つってことは、言葉を選び出すってことだ。無限にある星の中から、ただ一つの星を選ぶってことだ。
夢は選ばなければなりませんが、それは祝福すべきことで、それぞれの個性に繋がります。(例えばRASとRoseliaは音楽の方向性が違うので、どちらかがどちらかの完全上位互換になることは絶対にない)
また、選ぶことはありふれた普遍的なものでもあります。言葉だってそうです。五十音の組み合わせ、分厚い辞書になる言葉を組み合わせて、自分と相手の気持ちに寄り添ったものを選ぶことで成立します。それらは似たような組み合わせにこそなれど、十人十色の特徴があります。例えば、お礼を言う時は「サンキュ」「ありがとう」「(頭を下げる)」「どうも」等、様々な選択肢が存在し、それらの中から選ぶことでその人らしい感謝の気持ちが表現されます。
この世界では”選択”という行為は常に存在し、一つしか選べないようになっている。けれどもそれが人の個性を生み出している、となっています。
もしかすると夢は、その究極的なものなのでしょう。どのような経緯で、どのような夢を選んだのか。もしかしたらそれだけでその人を正確に理解してしまえるのかもしれません。
ポピパ(香澄)の選んだ夢。
それはきっととてもらしいものだと思います。そんな目線で見直して見ると、面白いのかもしれません。余談でした。
総括
イニシャルは香澄視点から観測した夢という群像劇を歌にしたものだと考えられます。
また、この歌は香澄視点で描かれた歌詞ではあるものの、香澄による香澄の為の香澄の歌ではありません。ある特定の人間には強く当てはまるような曲にもなっています。その特定の人物であれば、きっと似た物語を歩み、いつかその人の歌となる(CiRCRING)。
その特定の人物とは夢を追いかける人々です。一度も夢を見ない人間などいませんから、それは全ての人間です。つまりこの曲は夢を介して全ての人に寄り添うことの出来る歌となっているのです。
強い初期衝動に魅せられた香澄の物語ですが、初期衝動を見つければ誰でもその物語に参加できる(BanG_Dream!)。そのようなメッセージが組み込まれているように思えます。もしかしたらイニシャルの題にはそのような意味も含まれているのかもしれません。(イニシャル=初期衝動さえ重なっていれば共有できるあなたの歌!)
夢という群像劇に参加しているのは僕たちも同じです。みんなそれぞれ何かを抱いて毎日を生きています。僕らにだって、イニシャルは当てはまります。初期衝動は世界を塗り変えてしまうほど強いものでありながら、この世界にありふれているものなのです。香澄がみつけたキラキラドキドキがいい例です。(古いおもちゃ、学校の魅力etc)
それらを見つけるだけで、世界は輝いて見える。香澄はそれらを見つけることが非常に上手な女の子なんですね。だから自然と誰かを救うことが出来る。ありふれた特別。それは何よりも素敵なことなんです。
これから香澄が、そして誰か(不特定多数の人物を示す代名詞)が見つめるキラキラドキドキ(ありふれた特別)に期待に胸を膨らませて、この記事の終わりにさせていただきたいと思います。
読んでいただきありがとうございました〜。