一週間が瞬く間に過ぎ去っていきます。
休日に外に出れないこと以外は充実した生活を送っています。
具体的に言えば3%のお酒で酔いを感じることが出来たりしてます。少量のお酒で酔えることは充実した生活を送っている証拠で、素敵なことだと考えているのでとてもいいなと感じてます。
ですが、疲れているのは事実なので今日は手短に。
わかりやすさの話
自分はこの問題をよく目にしてます。
これは現代の重要なファクターとなるものだと思うので、簡単に言語化して見ようと思います。
わかりやすさと話の正確さ(詳しさ)は基本的にトレードオフの関係になります。
例えばエヴァンゲリヲン。エヴァは、とても正確に言うとロボットではないのですが、何も知らない人にエヴァについて説明する時には基本的にはロボット言ってしまう方が良いでしょう。
ここで言う前者が正確さで、後者がわかりやすさになります。
一般人に対してはエヴァがロボットじゃないと言ってもなんだそれとなりますし、実際のところロボットと大差はない訳ですから、基本的にそれで不都合は起こり得ない訳です。
ここではエヴァをロボットという括りに入れてしまうことでわかりやすくしている訳ですね。
ですが、前者だと満足できない人間がいます。それが作り手やオタクです。彼らはそれをどこまで深掘りすることによってものを作っています。その過程を楽しんでいる訳ですね。
しかし、物事を正確に理解していないと、それをいじるときに物事の本質を見失ってしまう。
エヴァは基本的にロボットいいですが、エヴァを改造するとなるとその本質(人造人間であること)を知らなければおかしなことになってしまいます。
この問題は日常のどこにでも存在しているのだと思います。
作り手は、やっぱり物事を正確に知っていて欲しいと思います。それらを知っていればよりそれについて安全に扱うことができるし、色々いじって楽しむこともできる。
でも、基本的に多くの人たちにとってそれはどうでもいい訳です。エヴァだって、あくまでアニメの作品で、休日の暇つぶしでしかない。それを深掘りして楽しもうだとか、何かを得ようだとは思わない訳です。
オタクと一般人の溝も、ここにあるのではないでしょうか。
ただし、数はオタクよりも圧倒的に一般人の方が多いです。オタクはあくまで少数派です。*1
一般人の方が絶対数が多いので、売れるのは当然わかりやすいアニメです。
でも、それだけなんです。
考察を楽しむ人もいる。ただ、わかりやすい作品の方が売れる。
作ればいいし、実際に作られているのだから、あるものを楽しめばいい。少なくても楽しんでいる人はいます。ただそれが商業的にあまり成功しないだけなんです。
まあ、商業的に成功しないのは問題があります。売れないと、やりたいことはしにくいのが今の世の中のルールなので。
そんなわけで、最近では考察しがいのあるアニメでも、わかりやすさを見にまとった作品が多くなってきているのではないかと思います。
シンエヴァは、難しい要素をわかりやすさで上手にパッケージ化した作品だったと思います。誰が見ても、一度でそれがどんな話だったのかを理解できる作りになっている。
レヴュースタァライトはとてもさまざまな要素が入り乱れている作品ですが、それは別として映像美と感覚で理解させることで”わからなくても楽しめる作品”に作り上げています。
これらはわかりやすさを身にまとうことで、一般人が話題に釣られてみに言っても楽しめるという訳です。
しかし、これら二つは考察する要素のない、陳腐な作品になっているという訳ではないんです。ただ、一度でも楽しめる作品になっているだけで、奥深さは失われていない。いわば、ガチ両刀です。
令和の時代、様々な価値観が許容される時代。オタクも一般人も、どちらもが尊重される時代。そんな時代の中で、作品は進化しているのだと思います。
自分はオタクな人間で、オタクな人たちと関わってきました。なので、狭い範囲に限っては言いたいことを察してくれていたんですね。
最近、別の範囲に手を伸ばそうとした時に、その壁に当たって気がつきました。ああなるほど、確かにそうだなと。
私もこれから、わかりやすさを身につけていきたいと思います。
そのような時代ですし、それが間違っているとは思えないですし、それなら理解しあっていきたいですしね。
今週はここまで。それでは、また来週。
*1:ここでいうオタクとは考察することを楽しむようなタイプのオタクを指す