nagi1000337の備忘録

一人のオタクの備忘録

ちょっとした愚痴と言うか、価値観の何かと言うか

 

 おはよう。

今回は最近自分の感じる違和感みたいなものについて少し自分の考えを書き連ねてみようと思う。

 

この違和感を大きく感じたのは某一人暮らしの敵公共放送局の番組アンケート「沼にハマって聞いてみた」のもの

 

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今話題(ココ重要)のバンドリについてそのファンがどう言うものなのかを調べる(詳しくはみたことがないのでわからないが)もので、実は6thライブの時にアンケートを取っていた。(Twitterのフォロワーさんもアンケートを受けたらしい)

 

 

 まあ、正直その内容がどうのこうのは正直言ってしまうと興味がないのでどうでもいいのだが、ここで一つ疑問が出てきた。

簡単に言ってしまえばいわゆるオタクコンテンツは一般的に広まるべきなのだろうか?と言うことだ。

こんな疑問は確かに今更なのかもしれない。ただ自分がこの問題に初めてぶち当たってみて考えているだけのものなのだが、これを皆に問いかけてみたいと思った。

 

 もともと、自分にとってオタクと言うものは知識と言うものに依存する醜悪なものだ。影に隠れてコソコソシコシコと自分の大好きなものについて自分が1番詳しい、もしくは好きだ!とまるでオナニーのように調べ、グッズを買い漁るものだった。

この意味としてのオタクと言うのは狭義的ではあるが、間違いのなく一昔前は正しくて、例えばニコニコ大百科にはこうある。

オタク(おたく、お宅)とは、自分の好きな事柄や興味のある分野に傾倒しすぎる人への呼称。ある物事へ一般人よりはるかに熱中している人・詳しい人のことである。
しばしば自他に関わらず揶揄などを伴ってヲタクと表記される場合もある。略称はオタ(およびヲタ)。

                      引用:ニコニコ大百科

 

 そんなオタクと言うものも時代とともに変化しているのは重々承知している。

そんな中で、オタクと言う言葉が肯定的に捉えられ始めているのだと思う。そうした流れの中で、日常的にも自分のことをオタクと自称する輩も増え、ネットの中ではオタクは市民権を得られ始めたと言われている。

 

 だがちょっと待って欲しい。もともとオタクと言うのは肯定的な言葉では無いのだ。素晴らしくはあるが、他人目から見ると醜悪なものでしか無いのだ。

確かに、今はオタク人口も増えて、さらにSNS等で同じような仲間と出会いやすくなったなんてこともある。むしろ、そんなことがあるからこそ感覚が麻痺しているのかもしれない。

今でもマジョリティである一般目で見るとオタクは気持ちが悪いのだ。(あるいは相当ライトなオタクであればそんなことは思われないことはある)

 

 話が長くなってしまったが、NHKのアンケートにこう言うものがあった。「あなたがバンドリと言うコンテンツを好きな理由を教えてください」(ちょっと違うかもしれない)

その質問に、例えばある人はこう答えるのではなかろうか。

「香澄ちゃんが健気すぎてすごく感動するんです」と。

しかし、一般ピーポーは戸山香澄のことなんて知らないしただただ女の子が好きなことしかわからない。

そりゃそうだ。なんせアニメコンテンツなんてエヴァやワンピースなどの超有名コンテンツ出ない限りは知らない人がほとんどなのだ。

もしも本当になんで沼にハマったのかを知るにはアニメを見るしかない。いや、むしろアニメを見る以外は何もいらない。

 それでは、なんと答えたらいいのだろう。

私は答える必要なんてないと思う。なぜなら答えてもオタクの気持ち悪いところしかわからないからだ。

 

 そう結論付けた時、最初に浮かんだ疑問が頭をよぎる。

オタクコンテンツは一般的として広まるべきなのだろうか?

私はそうは思わない。もともとオタクとはそういうものなのだ。

無理に社会から認められようとして嫌われる必要なんてないのだ。悪いイメージを植え付ける必要なんてないのだ。

少なくとも私はそう思った。

 

 みなさんがどう思うか、是非とも聞いてみたいと思う。

もしよければ私のTwitter、もしくはここに自分の意見を書いて欲しい。

(ちなみに@nagi1000337と検索すれば出てくるはず。)